月別アーカイブ: 6月 2021

7月の予定

皆さま、こんにちは❗ 暑いですね。マスクが大変な季節に突入、2回目のザ、夏ですね❗ 昨日参加者の方々の読経のなか、護摩を焚きました。 迷いを燃やし尽くしていただける御護摩。涙を流す方もいらっしゃいました。 さて、7月の予定です。 7月6日(月)阿字観瞑想会 ①10時~11時 ②19時~20時 御志納料 500円 7月14日(水) ご詠歌稽古 10時~11時 御志納料 500円 7月21日(水) 清掃奉仕 6時~7時 飲み物のお接待あります 7月28日(水) 御護摩祈祷 10時~11時 護摩木 五百円 お盆勤め 7月~8月15日

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菩提心(ぼだいしん)とは

皆様、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか? 今日は梅雨らしい天気です。 しとしとと。 道端のアジサイが和ませてくれますね。 今気づいたのですが、このブログが501回目です!パチパチパチ~。 今日18日は観音様のご縁日。 藤江の阿弥陀寺にて観音様のお勤めをしてまいりました。 祖父が盛んに信者活動をしておりましたが、今では私が一人で拝んでいます。 唐突ですが、、、 たとえ愛するものを傷つけたものでも仏になれるのだ。 と、考えることはできるでしょうか? 昨日、今日とオンラインで「菩提心論」についての講義を受けました。 お大師様が、弟子たちに必ず勉強しなさいと言われた「菩提心論」。 菩提心を起こすと、悟りに入ることができるといわれるほど、密教では菩提心を大切にし、考察が深められています。 先日も「『菩提心』とは何ですか?」という質問を得たばかりです。 私は「すべてのものが備え持っている『仏の心』そして『悟りを求める心』です」とお答えしたばかりでした。 講義を私なりにまとめてみると、、、 菩提心とは ①勝義(しょうぎ)→「知恵」(自利)すべてのものは「空」(実体がない)→自分の枠を超え、こだわりから解放される ②行願(ぎょうがん)→「慈悲」(利他)生きとし生けるものは必ず仏となれると信じ、苦しみから解放するお手伝いをする ③三摩地(さんまじ)→(密教の)「瞑想」仏と一体化する瞑想法に励む の三つによって成り立っている、と。 今度「菩提心」とは何ですか? と尋ねられたら、 「生きとし生けるものは仏になれると信じる心、あきらめない心」と言ってみたいです。 その考えに達し、実行できるためには、たゆまぬ努力が必要なのだと改めて思い知ったのです。 お大師様は、真言行者とはどうあるべきなのか?という道筋を示してくださっているのですね。

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邪見 徳 出演なるか?

先日の瞑想会では、「マスクを外して ソーシャルディスタンス禅」を目指して、ガラス戸を全開していたら、 法話の途中、途中大きなスズメバチが迷い込んで、一時中断。 ということもありました。 怒涛の4月、5月を終えて、毎年6月はのんびりとしています。 (梅雨で偏頭痛が起こる時もあるのですが) そういう時は読書ができるのでよいですね。 映画も良く見に言っているのですが、ちょっと見たいなぁと思うものが今はなくて。。。 最近、岡村圭真著『慈雲尊者 その生涯と思想』を読んでいます。 慈雲尊者とは、真言宗の僧侶の間では有名ですが、一般で知っている人は少ないかもしれません。 江戸中期に活躍した、「日本の小釈迦」と称された、お釈迦様の説かれたように活動された尊者です。 (慈雲尊者のお姿 wikipediaより) 皆さんも、感じているかもしれませんね。 「え!?お坊さんって結婚していいの?」 「え!?お坊さんってお肉食べていいの?」 「お釈迦様の時代は、お坊さんは、お肉食べないし、結婚もしなかったんでは???」 江戸時代まで、一部の集団を除いて、僧侶は結婚が禁じられていましたし、基本的に肉魚は食べてないものでした。 それらは「律」=僧侶として守るべき項目の一つです。 とはいえ、お釈迦様の時代の時の律(およそ250項目。女性の僧侶は350項目)は厳格に行われていないのが実情でした。 そんな中、日本の歴史では鎌倉時代や江戸時代に戒律復興運動が盛り上がります。 慈雲尊者はそのような盛り上がりを見せていた時流の中で、真言僧侶として、いや真言という枠を超えて、「お釈迦様に還ろう」と実践した方でした。(まだ勉強中ですが) (ちなみに、明治以降、「僧侶は妻帯して、肉を食べなさい」というお達しが政府から降りて、寺は家族で運営されるようになりました。 なぜこのようになったのか、詳しく私は分かりません。僧侶の方々は、自己矛盾で苦しまなかったのでしょうか?現在でもなるべく「律」を守る僧侶の方もおられます。世俗的な生活と非世俗のバランスを取っている方々も) さて、そのようなレジェンド的な慈雲尊者ですが、小さな頃は頭が良すぎて、「来世のことを説いたり、地獄で人を脅すなんて、仏教は馬鹿げている!」と憎んでいたそうです。父の遺言で、不承不承ながら真言宗のお寺で得度をし、修行を深めていくうちに、少し賢いからと仏教を見下げていたのは「邪見」だと悔い改めたといいます。 そう、頭が良い方にも苦悩があるのだなと実感しました。 頭が良いとすぐに信に入ることができない、という苦悩があるのだと感じました。 (慈雲尊者の書 早稲田大学HPより) ところで最近「徳」とは何かと感じる場面に出くわしました。 現在は「お金」が様々な尺度になっています。 「お金」で生活様式、人への接し方が変わることも多いでしょう。 しかし、お釈迦様は「お金は火で燃えますが、徳は火で燃えません」と仰っているように、 どんな場面に遭遇しても、徳を失うことはしたくないと改めて誓ったのでした。 最後に、骨董品などを鑑定するある民放テレビの人気番組に、鑑定を依頼しました。 一年以内に出演しなければ、採用されなかったのだと思ってください。(笑)

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