略縁起
白鳳年間(七世紀)、今津地方の庄司である田盛庄司安邦の菩提寺として建立されたと伝えられる。また、明治時代に入るまで、剣明神(つるぎみょうじん)の別当寺を務めていた。
寺伝によると、平安時代延暦二十三年(八〇四)弘法大師空海上人が遣唐使の一員として唐へ向かわれる途路、朝霧の中今津浦から見える山々が紀州の熊野三山に似ているところから、入唐留学の無魔成満を祈願され、今津の地に熊野三山を開山されたという。その一山が当山であり、熊野本宮の御本地仏、阿弥陀如来を本尊とする。
その六百年後、室町時代の応永十年(一四〇三)、当山中興の祖である尊慶阿闍梨は、大師開山六百年を記念して熊野三山を巡礼し、熊野三所大権現を再勧請(さいかんじょう)している。
時代は下り、江戸時代には参勤交代の制定に伴い、山陽道今津宿の本陣は河本家、脇本陣は蓮華寺と定められ、その史跡「上段の間」が現存している。
宝暦三年(一七五三)に堂塔が焼失し、宝暦十三年には今津東坂旧墓地付近の丘より現在の地に移転。造営に際し、福山城主より多額の浄財の寄進を受ける。尚、本堂は類焼を免れ寛政六年(一七九四)に現在地に移転、再興された。