大乗起信論 人間の可能性

おはようございます。

土砂加持法要に向けて、以下の資料を作成しました。

花まつり通信(毒矢のたとえ) 今須宿ふれあい市チラシ 記念講演会案内チラシ 十三仏来迎図修理記念リーフレット(これは凄いクオリティのものとなりました。乞うご期待!) 結集寺院案内ハガキ

残すところ、土砂加持法要案内文 のみになりました。

あとは地域役員さんに仕分け、遠方檀家さんへの発送作業 ふれあい市の準備 法要の準備 発注 六座土砂加持法 

こうやってリストアップすると、やるべきことは沢山ありますね(汗)

本日、勉強のため、京都に向かっております。ある御縁をいただき平川彰著『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』を読む会に参加させていただいております。お大師様が大切にされた「釋摩訶衍論(しゃくまかえんろん)」の元となっている論書(の解説書)です。

はっきり言って、独学で励み、理解できるものではありません(そもそも仏教の勉強は師のサポートが欠かせません)。憂鬱になるほど難解です(涙)

大乗起信論は今まで2度ほど独学で挑戦しましたが、挫折。今回もおそらくそうでしょう。しかし、今までの挫折より、学べることが増えているのも事実です。

何より、人間の可能性を信じている事を根本としているのだと感じます。

本文解説より引用

人間の心の中で、善と悪(浄と染)は区別され得るが、同時に一つに和合して人格を形成している。ただこれ「一心」である。(中略)

しかし凡夫が修行して佛陀になれば、染法は消滅するから(中略)その根本の本性においては自性清浄と見なければならない。