昨日の瞑想会 禅波羅蜜

おはようございます。

昨日は一年で最後の瞑想会でした。朝夜合わせて6名の方がお越しくださいました。

午前の部は、新規の方も来られ、「あっという間の45分でした。一緒にいらっしゃる方々のお気持ちがすがすがしいからでしょう、気持ちの良い時間でした」というお言葉を述べられていました。

何のために瞑想(禅)をするのか?

それは、安らかな境地に至る修行の一つなのだ、と。修行の特によって、周りの人々の幸せにもつながっていくのだ、と。

お釈迦様の時代より前から、座って息を整え、心を鎮めるという習慣(修行)があったようです。お釈迦様はそれを取り入れられ、弟子たちにも「アンナパンナ(息の入出を観察)」勧めれていました。(もちろん様々な瞑想修行法があったと思います)

大乗仏教の流れにおいても、六波羅蜜(ろっぱらみつ)という修行の徳目の中に「禅波羅蜜」が挙げられています。

波羅蜜とは「こちらの岸(此岸)からあちらの岸(彼岸)に渡る」という、「安らぎの境地に至るための修行」ということをお伝えしました。

ちなみに「瞑想」とは、明治以降「meditation」に対する訳語として使用されています。仏教用語としては、「禅(ぜん)」「定(じょう)」「観」「止」「瑜伽(ゆが)」「三摩地(さんまじ)」など多くの用語が挙げられます。蓮華寺では、一般的な「瞑想」という言葉を使用していますが、息を整え、精神を統一することにより、ご本人の精神を安定させ、その先には人々の幸せにつながっていくことを目標としています。

また、「阿(サンスクリット文字)」字」を観じ、声の響きを観じることによって、大宇宙である大日如来の命の現れである、私たちがつながりあっている尊いいのちを直感的に感じていただくことも目標にしております。

もちろん、瞑想する際、雑念が沢山起こり、必ずしも良い状態ばかりとは限りません。長年かけて、身に着けていくものだと思います。気負わず、気楽な気持ちで、「ああ、今日はなんだかすっきりできたな」という所からスタートできたらよいなと願っています。