三世 過去現在未来

皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
今年はあっけない梅雨明け宣言、と思いきや、梅雨の再来を思わせるじめじめした日が続いております。

瞑想会でどなたかが言われていました。

「梅雨」という概念を決めつけるから、梅雨明けだとか、梅雨入りだとか、戻り梅雨だとか気になるんじゃないの??

と。

ここから梅雨で、ここから梅雨じゃない。明確に分けることはできませんね。
(梅雨明け宣言っていつもあっけなくて面白かったりするのですが)

時間の概念も、ここから「過去」「現在」「未来」と区分できるわけではありません。
私たちは連続の時間の流れの中で生きています。

一瞬の現在も、瞬く間に過去となっていきます。

先日、連続する時間の流れの中で、人と人との出会いはきっと運命なんだという実感を得ました。

6月は比較的のんびりしているので、旧交を温めたり、読書や映画を楽しむ月にしております。
数年ぶりに、ある80代の女性と再会し、おしゃべりを楽しみました。

数年前にお出会いした時に知ったのですが、私たちには共通する方がいました。
大学の恩師です。
恩師は亡くなる前に「お寺はもっと地域に開かれていなければならない。」という遺言を残されました。
その言葉を胸にささやかなお寺の行事を催してきました。その行事に来ていただいたのですから、不思議なものです。

そして、この度、夫の大学の恩師と女性のご主人が友人であったことも分かりました。
他にも共通する点が見つかり、このように楽しくおしゃべりができるというのは余程のご縁だと実感しました。

ある本にこのような言葉がありました。
仏教の時間の概念である「三世~過去・現在・未来」は「必然性・偶然性・可能性」と言い換えることができる、

と。

まさに、出会いとはいくつもの必然性の積み重ねによって、偶然引き起こされているのだ、と。

そして、その出会いが何かを生み出していく「可能性」をはらんでいる、

ということも実感して、その日お別れしたのでした。