今日のお客様たち

みなさま、こんばんは。

今日は最高気温が15度という春めいた日和でした。

朝方は雨が降り、地元のとんど(正月飾りを燃やす行事)がうまくいくか心配でしたがうまくいったそうです。

「そうです」というのは、急きょ朝方お勤めが入り、参加できなかったのです。

朝のお勤め後、仏様にお供えしていたお餅のお下がりで「お餅パーティー」を開きました。近所の子ども会関係の方々に声がけをして総勢20名ほどの親子連れさんが来てくださいました。(例により写真を撮るゆとりはありませんでした 汗)

南の廊下にホットプレートを置き、縁側から注文する、という感じです(もちろん無料です)。一番人気は焼いてとろとろにしたチーズをからめる「チーズお餅」でした。ぜんざいもおいしかったですよ!仏様の功徳がつまったお餅を楽しんでいただき嬉しかったです♪

来年も地域の親子さんを招いてお餅パーティーを開けたらよいな、と願っています。

次のお客様は、備後藺草を使用した畳を研究している方です。今年当山で畳替えをするに当たって、打ち合わせをしていました。諸大名が使用していた上段の間に最高の畳を入れられたら、きっと歴代の住職たちは喜んでくださるのではないかと思いました。

そのお客様が玄関からでようとした時、次のお客様が来られました。

「埼玉から来ました。私の友達のお母さんが、戦争中こちらのお寺で学童疎開をしていたそうです。私は福山出身なので、帰省の際写真を撮ってあげると約束したのです。」

とおっしゃるではないですか!

薬師寺と蓮華寺に、大阪市福島区の小学生が分宿していたと聞いていたので、喜んでご案内しました。

学童疎開をしていたご婦人は88歳。足腰も弱りおそらく福山には来られないだろう。

最近夢に蓮華寺が出て、しきりになつかしくなった、ということでした。

当時5年生だった少女たち。まだまだ父母が恋しい時期。そんな幼い子供たちは、学童疎開中、親のことを話題にするのは厳禁だったそうです。学童疎開は1年に及んだそうです。

「78年前と変わらない風景はありますか?」

と聞かれ、

「昭和の大修理でかなり改修しているのですが、、、、」

と、前置きして案内したのは、上段の間、本堂、鐘楼堂(当時、鐘は不在だったと思います)と石井瓢水師の句碑でした。

夢に現れた蓮華寺と、現在の蓮華寺はかなり違っているでしょうが、思い出していただけて嬉しく感じました。

今日のお客様たちでした。

『ふるさと今津』より引用 貴重な写真が掲載されていてありがたいです。

郷土史「ふるさと今津」によると、昭和19年9月をかわぎりに、大阪市福島区内の児童4250人を順次、広島県東部で疎開先として受け入れた。今津町には同区玉川国民学校5年生女子40名がやってきて、薬師寺と蓮華寺が受け入れ先だった、という。写真は「ふるさと今津」より。そのご婦人はどの少女なのでしょうか?

また、昭和16年にお国のために蓮華寺の鐘が供出されたという記録が残っています。当時、どのように時を知らせていたのでしょう?ちなみに現在の鐘は昭和30年に、先代の住職が入山してまず着手して再興しました。米国在住の矢野氏が大旦那となって下さったそうです。